日本言語学会第171回大会ワークショップ(2025年11月23日)
「周辺的事例と向き合う:その視座と方法」に対する口頭コメント

                                   

T 全体コメント
 「周辺的」とは中核部分(中心部分)の周辺という意味であり、そこでは「中核(中心)vs. 周辺」という対立が問題となります。また、中核(中心)から外れた部分という点で、「逸脱表現」として捉えられる場合もあります(cf. 天野(2011))。

   [周辺的言語現象の研究の意義]
 周辺的言語現象研究の意義としては、(@)包括性を高めること、及び(A)中核的(中心的)言語現象の分析に対するフィードバックが挙げられます。このうちの(@)は、言語現象の観察を拡げることにより、その全貌を視野に収めることができるということです。他方(A)は、周辺的言語現象の分析により中核的(中心的)言語現象の有り様を見直すことが可能になるということです(研究の意義については、Fillmoreの構文文法(フィルモア(1989)、定延(2000)の「周辺主義」を参照してください)。中核的(中心的)言語現象の分析に対するフィードバックという点は、誤用を分析することにより正用の有り様を見直す道が開かれるという意味での「誤用の正用へのフィードバック」に通じるものです。

   [関係する重要な課題]
 関係する重要な課題として、中核(中心)と周辺の事例研究から"中核と周辺の関係に関する一般論"への展開が挙げられます。岩男さんの発表、大神さんの発表、三野さんの発表の考察対象は、日本語の名詞修飾節構文(連体節構文)、日本語のアスペクト構文、英語のthere構文という、従来から検討が重ねられてきた重要構文における周辺的現象であり、板垣さんの発表の考察対象は、ジャンルの特異性という点での周辺的現象であり、逸脱表現とも捉え得るものです。

U 各発表に対するコメント

[1]岩男発表:「周辺的連体節をどう扱うか」
 岩男さんの発表では、日本語の名詞修飾節構文(連体節構文)に関係する周辺的現象が取り上げられ、先行研究の枠組みでは十全な取り扱いができないことが論じられました。当該の周辺的現象は名詞修飾節構文における基本型の構文からの拡張として捉えられるというのが本発表の主張です。
 この主張に関わって指摘しておきたいのは、この現象には、新たな概念を表すための造語(語形成)という面があるのではないかという点です。すなわち、文に名詞または接辞を付加することにより、新たな複合名詞または派生名詞を形成するということです。この面に光を当てることは、名詞修飾節構文と、文を構成要素とする複合名詞・派生名詞の関係をどう見るかという研究課題を提供することになります。
 複合名詞・派生名詞の形成という面に関わって、プロソディーも考察の視野に入ってきます。例えば、「謝れ事件」の場合であれば、「あやまれ」→「あやまれじけん」となり、「「帰さないぞ」という攻撃」の場合は、「帰さないぞ攻撃」となります(cf. 窪園(1995, 2023))。このようなプロソディーという音韻の面をどのように扱うのかという点を岩男さんに問うてみたいと思います。

[2]板垣発表:「インターネットスラングをどう扱うか」
  板垣さんの発表では、インターネットスラングという特異なジャンルに見られる新規表現が考察対象とされました。「打ちことば」にはいろいろな新規表現が認められますが、本発表では、そのなかで「X(Y)」の構造を持つ「丸括弧書き」のうちのY部に語句を取らないタイプ(「X(  )」)が取り上げられました。
当該の表現は「打ちことば」のなかでも極めて特異なものであり、周辺的現象のなかでも逸脱性の高い表現と言えますが、本発表では、当該の表現はX部のカテゴリーに属するとされることに対する懐疑的・冷笑的態度を示すという主張がなされました。さらに、逸脱性の高い表現であるにもかかわらず、その背後にはそれを支える規範が存在し、その意味において既存の規則に沿ったものであるとの見方が示されました。ただ、独自の機能を持つとされるこの表現と、Y部に語句を取る「丸括弧書き」のタイプとのあいだのつながりに関する検討は、残された課題と言えるでしょう。
 また、既存の規則へのフィードバックという観点からの提案も望まれるところです。例えば、懐疑的・冷笑的態度を示すとされる当該の表現の分析をもとに、発話者の態度を表すモダリティの研究に対して問題提起できるのかという点について板垣さんに問うてみたいと思います。

[3]大神発表:「周辺的な「ている」をどう扱うか」
   大神さんの発表では、日本語の状態・性質を表すスル構文が取り上げられました。具体的には、述語に動詞のテイル形を取るテイル構文が考察対象に据えられ、テイル構文の諸用法のなかの周辺的な用法から見えてくるものを明らかにするという試みがなされました。この試みは中核的(中心的)言語現象の分析へのフィードバックという点において極めて有意義な試みとなっています。
 本発表では、当該の周辺的用法が「身をもっての観察」から得られた、対象に対する認識を表すものであり、その点においてエビデンシャリティを表すものであるとされました。さらに、このエビデンシャルな性格はテイル構文全体を覆うものであるとの主張がなされました(そこでは、定延(2006)の分析が参照されています)。エビデンシャルな性格がテイル構文の全体に関係するものか、或いは一部に関係するものかという点については、さらなる検討が求められるところです(この問題については、定延(2006)の見方と工藤(2014)の見方の違いを参照してください)。
  大神さんの発表においても、周辺的現象と中核的(中心的)現象のあいだのつながりの解明は検討すべき課題として残されています。とりわけ、当該の周辺的テイル用法の構文が「〜ガ〜ヲ〜動詞」という他動詞構文の形を取る理由がどこにあるのかという点を大神さんに問うてみたいと思います(cf. 影山(2004))。

[4]三野発表:「周辺的there構文をどう扱うか」
  三野さんの発表では、周辺的なthere構文としての"reachを伴うthere構文"が取り上げられました。there構文の中核(中心)が事態の存在・出現を表す自動詞構文とされるところから、他動詞のreachを伴うthere構文は周辺的な構文として位置づけられます。
 本発表では、当該の周辺的構文の使用実態についてコーパス調査を行った結果、現代英語ではこの構文が語彙的にはa pointを中心とする時間名詞(point, age, time)を伴うことが明らかになりました。この結果をもとに、本発表では、"there comes a point…"のような自動詞の構文と"you reach a point…"のような他動詞の構文がblendされて"there reaches a point..."のような構文が生み出されるというblending分析が提案されました(この提案はTurner and Fauconnier(1995)の分析に基づいています)。この構文には時間名詞が関与することが明らかになったのですが、この関与の有り様がblending分析によりどのように説明されるのか知りたいところです。
  また、より一般的な問題として、存在構文の言語差をどのように扱うことができるのかという課題が挙げられます。例えば、英語のthere構文と日本語の存在構文の異同をどう見るかという点について三野さんにコメントを求めたいと思います(cf. 三上(1969)、岸本(2005))。英語のthere構文の特性といったことが考えられるでしょうか。

  最後に、本ワークショップの取り組みが音韻・形態・統語・語用に跨る総合的研究であることを指摘しておきたいと思います。今回の発表は中間報告として提出されたと承知しています。今後の取り組みの継続を期待して、本コメントを閉じることにします。

[引用文献]
天野みどり(2011)『日本語構文の意味と類推拡張』笠間書院.
影山太郎(2004)「軽動詞構文としての「青い目をしている」構文」『日本語文法』4巻1号.
岸本秀樹(2005)『統語構造と文法関係』くろしお出版.
工藤真由美(2014)『現代日本語ムード・テンス・アスペクト論』ひつじ書房.
窪薗晴夫(1995)『語形成と音韻構造』くろしお出版.
窪薗晴夫(2021)『一般言語学から見た日本語の語形成と音韻構造』くろしお出版.
定延利之(2000)『認知言語論』大修館書店.
定延利之(2006)「心内情報の帰属と管理」中川正之・定延利之編『言語に現れる「世間」と「世界」』くろしお出版.
チャールズ・フィルモア(1989)「「生成構造文法」による日本語の分析一試案」久野ワ・柴谷方良編『日本語学の新展開』くろしお出版.
三上章(1969)「存在文の問題」『大谷女子大学紀要』1969年4月号.
Turner, Mark and Gilles Fauconnier(1995)"Conceptual integration and formal expression."Metaphor and Symbolic Activity 10.